2005年12月23日

実現とは何か(9)

実現主義は、伝統的には、資産の販売と貨幣性資産の受領をもって収益を計上しようとする考え方を意味します。
しかし、有価証券の評価益を実現概念によって説明するには、実現を実現可能(販売可能)に拡大し、有価証券を貨幣性資産と考える必要があります。
もっとも、なぜ、実現可能が実現と同じなのかといった素朴な疑問は残るでしょうし、また、有価証券を貨幣性資産とは必ずしも言い切れない面もないではありません。
企業会計の全体像を描きながらある特定の出来事を矛盾なく説明するのは、想像以上に難しいことといってよいのかもしれません。

概念フレームワークでは、このような混迷する実現概念の代わりに「リスクからの解放」という考え方を採用しました。
実現に対する混迷を受けて新たな概念を持ち込まれても、へなちょこ講師には、正直、よく分かりません(←こういうときだけ正直なんだよなあ)。
リスクからの解放という考え方が定着していくのかどうかも含めて、今後の課題ということにさせてください。
ただ、あくまでも大事なのは、実現概念そのものが混迷しているという事実そのものであることには充分留意する必要があるのではないかと思います。
わかっていないからこそ大事なこともあるといったところでしょうか。

アメリカにおいて、有価証券に関して原価主義による問題が露呈したのは、今から20年以上も前のことです。
その間、日本では、原価主義が維持された訳ですが、もちろん、時価主義を模索するような議論はありました。
下記のような税理士試験での出題実績は、このような議論の激しさを象徴しているといってよいのではないかと思います(っていうか、出すぎですね)。
ぜひ、模範解答を覚えるといったことではなしに、ご自分の言葉で、解答を考えてみてください。

(平成16年 第二問 問1 (2))
●(金融商品会計)基準が、………(4区分ごとの)評価基準の適用と評価差額の処理を要求しているのはどのような理由によるものか、……有価証券ごとに説明しなさい。

(平成12年 第二問 1 (1))
●収益の認識基準について、売買目的有価証券を例にとり、説明しなさい。

(平成11年 第一問 1)
●有価証券の経済的本質については、貨幣性資産とみる見解があります。この見解について述べなさい。

(平成8年第一問 3)
●市場性ある有価証券等の評価原則として時価主義を採用する考え方があります。これらの資産について、時価主義を求める根拠を述べなさい。

(平成4年 第二問 1)
●あなたは、取引相場のある株式を貨幣性資産であると考えますか、費用性資産と考えますか。いずれかを答案用紙の空欄に入れ、その理由を示しなさい。

実現とは何か(完)
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実現とは何か(8)

企業は、出資者から資金(資本)を募り、その調達した資金(資本)を運用することにより、当初の資本よりも多い資本を獲得することを目指しています。
この場合の「当初の資本よりも多く獲得した資本」が利益であり、「その利益の出資者に対する還元」が配当です。
企業活動をこのような資本循環の過程として捉えるとすると、その「資本の投下の過程にある資産」が、「非貨幣性資産」であるといってよいでしょう。
そして、このような資本循環は、「販売」を契機に、回収へと姿を変えます。
「資本の回収過程にある資産」が「貨幣性資産」であるといってよいでしょう。

現金 → 商品 → <販売> → 売掛債権 → 現金

今、このような資本の循環を考えた場合、これを有価証券に当てはめるとどうなるでしょうか。

現金 → 有価証券 → <譲渡> → 未収金 → 現金

中央の販売と譲渡という言葉は、一般に商品については、販売という言葉を使うという違いがあるだけで、本質的な違いはなさそうです。
このような考え方をとれば、有価証券は、非貨幣性資産だということになりそうです(そう考える方もいます)。

しかし、買ってすぐ売ってしまうような有価証券(売買目的有価証券)について、上記のような商品(や製品)と同じような流れを想定するのはおかしいのではないかと考える人もいます。
むしろ、

現金(1) → 貸付金 → 現金(2)

のように、間にある貸付金は、当初の資本(現金(2))とさほど変らない形で存在し、また、すぐに現金(2)になるんだと考える人の方が多いかもしれません。
このように考えれば、有価証券は、貸付金と同じように貨幣性資産だということになります。
私は、こちらの方が近いのではないかと思っていますが、皆さんはどちらがより正しいと思いますか。
そしてそれは何故ですか(って、聞くのね。こんなとこで聞くのね)。

実現とは何か(9)へ(で、つづくのね)
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実現とは何か(7)

伝統的な意味での実現は、売上の場合には、「販売+貨幣性資産の受領」を意味しています。
このような「実現」の考え方では、有価証券の評価益を説明することはできません。
ただし、販売を販売可能に拡張し、有価証券を貨幣性資産と考えることができるなら、有価証券の時価評価を実現概念(の延長)で説明することが可能です。

それでは、貨幣性資産とは、一体なんでしょうか。

貨幣性というくらいですから、貨幣(現金)に近いものとはいえそうです。
「貨幣性資産」は、貨幣(現金)そのものないしは、将来、貨幣となる資産を意味しているといってよいでしょう。
このことを、商品について、購入(仕入)から売却(販売)、そして現金回収までを借方の勘定科目で追って考えてみましょう。

現金(1) → 商品(仕入) → <販売> → 売掛金 → 受取手形 →現金(2)

企業は、現金をもって商品を購入します。
この商品を販売(これが「収益の実現」でした)をもって、売掛金や受取手形という売掛債権を取得し、やがては、現金によって回収されることになります。

当初の現金(1)を起点にして、販売までに企業が保有している資産が、費用性資産(商品)であり、終点の現金(2)までの資産が貨幣性資産(売掛金、受取手形)であるといってよいでしょう。
もちろん、現金は、どのような場合でも貨幣性資産です。

そもそも資産を貨幣性資産と非貨幣性資産(費用性資産)とに区分するのは、その資産が、資本の循環過程(上記の矢印のような過程)のどこに位置するのかで、その資産の評価を考えるためです。
資本の回収過程にある資産、すなわち、貨幣性資産であれば、収入額をもとに評価します。
また、資本の投下過程にある資産、非貨幣性資産(費用性資産)であれば、支出額をもとに評価しようと考える訳です。
このような議論を前提とした場合に、有価証券(売買目的)はどのように考えればよいのでしょうか。

有価証券を貨幣性資産と位置付けることはできるでしょうか。

実現とは何か(8)へ
posted by 講師 at 18:52| Comment(0) | TrackBack(0) | 実現とは何か | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

実現とは何か(6)

伝統的な実現概念は、売上の場合には、商品の販売(引渡)時点で収益を計上します。
しかし、有価証券の評価益をこのままの形で説明することはできません。
そこで、考えられたのが、実現を「実際の販売」だけでなく、「販売可能な状態」にまで広げる考え方、すなわち実現可能性概念です。

そもそも、実現主義は、その金額の確実性、計上収益の処分可能性を根拠に認められているものです。
現金やこれに準ずる資産(現金等価物)の受領がなければ配当や税金の支払いを行うこともできません。
実現可能性概念(基準)は、このような処分可能性の要請に適うものなのでしょうか。

収益を計上する場合の典型的な仕訳は、次のとおりです。

(借)資産××× (貸)収益×××

実現主義によれば、この借方の資産が、現金や現金に準ずるような資産(現金等価物)である必要があった訳です。
このような資産は、貨幣性資産とも呼ばれています。

有価証券の評価益を計上する場合の仕訳は次のとおりです。

(借)有価証券××× (貸)有価証券評価益×××

この仕訳を実現可能性概念によって説明するならば、借方の有価証券を貨幣性資産として説明する以外にありません。
有価証券を貨幣性資産と考えられるなら、伝統的な実現概念でも、(1)資産の販売(可能)+(2)貨幣性資産の受領(増加)として、有価証券の評価益そのものをうまいこと説明することができます。

ただ、有価証券が貨幣性資産なのかです。

そもそも貨幣性資産とは何なのでしょうか。

そして、有価証券(売買目的)は、果たして、貨幣性資産と呼べるのでしょうか。

実現とは何か(7)へ
posted by 講師 at 19:30| Comment(0) | TrackBack(0) | 実現とは何か | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

実現とは何か(5)

実現主義は、収益を実現時点で計上しようとする考え方を意味します。
伝統的に、「実現」とは、売上の場合でいえば、販売等の「具体的な出来事」を意味していました。
販売という外部との取引が行われた段階で収益を計上すれば、その金額は、恣意性の入らない確実なものですし、また、販売等と同時に現金等を受領する訳ですから、配当や税金の支払いに困ることもないからです。

しかし、アメリカにおいて、現実的な問題(有価証券を運用する一部企業の破綻)から有価証券を時価評価することになりました。
もっとも、その根拠付けの論理がきちんと整理されていたのかというと、必ずしもそうではありません。
もちろん、現実的な不都合があって、有価証券を時価評価する以上、後追いであったにせよ、今までの損益計算の論理からその有価証券の時価評価を説明する努力は必要でしょう。
そして、その動きは、ありました。

一つの試みは、有価証券の時価評価(特に評価益の計上)を実現概念(の延長)で説明しようとするものです。
伝統的な実現は、「資産の引渡+現金等の受領」で収益が実現したと考えます。
この論理を有価証券の評価にもあてはまるように、実現概念をゆるやかに解釈しようとする試みです。
このような考え方は、実現可能性概念(基準)などと呼ばれます。
実現を「販売」ではなく、「販売可能」という状態にまで拡張したのです。

有価証券について、取引市場があれば、売れるということは間違いないでしょう(もちろん値段の問題はあります)。
そして売却することに何らの制約(子会社の株式を簡単に売る訳にはいきません)もなければ、もはや「実現」と同じではないか、というのが実現可能性概念(基準)の基本的な考え方といってよいでしょう。

実現可能性、うーん(←唸ってます)。

実現可能ってのは、実現と同じなんでしょうか?

実現可能は、実現なんでしょうか?(←誰に聞いてるんだか)。

実現とは何か(6)へ
posted by 講師 at 20:11| Comment(0) | TrackBack(0) | 実現とは何か | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

実現とは何か(4)

企業会計上、費用及び収益は、その発生時点で計上されます。
ただし、収益については、実現主義が適用されます。
売上の場合でいえば、商品の販売(引渡)と現金等の受領のタイミングで収益が実現したことになります。

収益について、実現主義が適用されるのは、収益について、処分可能なもの、確実なものを計上しなければならないという制度上の要請があるからです。
このような損益計算の体系のもとで、未実現利益が計上されることはありません。
いいかえれば、未実現利益を計上しない考え方が、実現主義であるといってもよいでしょう。

今まで、企業会計の一側面、財務諸表でいえば、損益計算書の面を考えてきました。
では、もう一つの財務諸表である貸借対照表の面から眺めるとどうなるでしょうか。

企業会計上の重要な課題の一つに資産(負債)の評価額をどうするかという問題があります。
伝統的な(今までの)企業会計では、資産を取得原価で評価することとされていました。
このような考え方は、原価主義(取得原価主義)と呼ばれます。
取得原価主義によれば、資産の評価額は、取得原価を基礎に算定されますので、評価益(つまりは、未実現利益)が計上されることはありません。
取得原価主義は、未実現利益(評価益)を計上しないことを根拠に採用されているといってもよいかもしれません。
取得原価主義は、実現主義との相性がよく、このことを、「原価−実現主義」と呼ぶ人もいます。

資産が取得原価で評価され、それで大きな問題がないならば、それでよいでしょう(ちょっと前まではそれでよかった訳です)。
しかし、現実に大きな問題が起こりました。
原価主義は、取得原価を資産の評価額とする方法ですから、多少、資産の値段が下がっても、その資産を売却しない限り、損が出ることはありません(低価法や減損の話はひとまずおいておきます)。
このことを悪用していた企業が巨額の含み損を抱えて、相次いで破綻するという事例がアメリカで起こったのです。
この出来事をきっかけにアメリカでは、有価証券をはじめとする金融商品を時価評価するという方向に動きました。

有価証券を時価評価するという話は、必ずしも理論上、そうすべきだというところからスタートした訳ではありません。
現実に不具合が生じたから有価証券を時価評価することになったのです。
それに対する理論は、いわば後付です。
その後付けの理論の整備が困難を極めています。
意外に思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、未だに、誰もが納得いく形で体系的な整理がされている訳ではないのです。
ですから、実現に対する理解も、この整理されていないという状況を整理することこそ大事なのだということは、知っておかれるべきかもしれません。

実現とは何か(5)へ
posted by 講師 at 21:16| Comment(0) | TrackBack(0) | 実現とは何か | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

実現とは何か(3)

伝統的な(今までの)実現概念は、売上の場合は、商品の販売(より具体的には、商品の引渡)を意味していました。

企業は、商品の販売により、現金及び現金等価物を受取ります。
このように売上収益を商品販売時点で計上するのは、収益の計上を確実なもののみに限定したいという制度的な理由からといってよいでしょう。
確実な収益を計上するのでなければ、株主等への分配や税金の支払いを行うことはできないのです。

しかし、今(前からかな)、この実現概念が揺らいでいます。
概念フレームワークでは、この実現概念に代えて、「リスクからの解放」という考え方を採用しました。
また、それ以前からも実現概念については、上記のような限定された意味(商品引渡+現金等の受領)を拡張しようという試みがなされていました。
「実現概念の拡大」が模索されていたのです。
いずれにせよ、実現概念は、あちこちから再検討されていたのです。

それでは、従来の実現概念では、何がまずかったのでしょうか。
また、従来の実現概念は、必要なくなってしまうのでしょうか。

実現概念は、収益の認識に関する基本的な考え方です。
実現概念を考える際には、損益計算(収益−費用)をどのように考えているかの理解は欠かせないでしょう。
企業会計原則の規定(損益計算書原則一A等)をもとに、ややラフに損益計算のあり方を考えてみましょう。

(1)収益・費用を大枠では「発生」で考える。
(2)でも、収益については、「実現」という限定が入る。
(3)実現収益に「対応」する費用が各期に「配分」される。

今、一つの損益計算に対する見方を示せば、こんな感じになるかと思います。
このようなまとまった見方、体系的な見方では、説明できない出来事の存在、それが実現概念の拡張・変質を「試みる」、あるいは、「試みなければならない」理由といってよいでしょう。

それは、資産の評価益の存在です。
より具体的には、有価証券の評価益、あるいは、有価証券を時価評価することを、企業会計上、どのように説明すればよいのか。
有価証券の時価評価を伝統的な損益計算の枠組みの中でどのように捉えればよいのか。
実現概念を拡張・変質しなければならない「現実的な理由」は有価証券の時価評価にあるといってよいのではないでしょうか。

実現とは何か(4)へ
posted by 講師 at 22:03| Comment(0) | TrackBack(0) | 実現とは何か | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

実現とは何か(2)

実現とは一体なんでしょうか?

企業会計原則を確認した限りで、わかることはそれほど多くありませんでした。
一つは、実現が、収益についてのものであることです(損益計算書原則一A)。
もう一つは、売上の場合には、商品の販売によって収益が「実現」するという点です(損益計算書原則三B)。
損益計算書原則三Bでは、役務の提供にも触れていますが、以下では、商品の販売に話を限定しましょう。
「収益は実現したら計上」する。
そして、売上については、「商品の販売で、収益が実現」することが、企業会計原則の規定からわかります。

それでは、なぜ、収益は、実現時点で計上するのでしょうか。
そしてそれは、なぜ、商品の販売時点なのでしょうか。

損益計算書原則一Aによれば、費用・収益は、発生期間に割当てられることとされています。
しかし、「収益については」、未実現収益は、計上してはいけないという限定がありました。
このように収益についての限定が加えられているのは、極めて制度的な理由といってよいでしょう。
収益を計上して、これに見合う費用も計上して、利益が出れば、その利益は、出資者である株主等に分配され、また、その利益は、法人税等の課税の対象になります。

収益計上の際の典型的な仕訳は、次の仕訳です。

(借)資  産××× (貸)収  益×××

この借方の資産が、株主等に対する分配や法人税の支払いに耐え得るような資産でなければ、分配や税金の支払いを行うこともできません。
その意味では、現金やこれに準ずるような資産(現金等価物と呼ばれます)を獲得した段階が収益が実現した段階といってよさそうです。
商品販売についていえば、それは、販売時点を意味することになるでしょう。

伝統的な会計学において、収益の実現時点は、(売上について)(1)商品を販売し、(2)現金又は現金等価物を受領した時点であるといわれているのは、このような理由からであるといってよいでしょう。

次回は、このような意味での実現(主義)の変化について考えてみたいと思います。

(実現とは何か(3)へ)
posted by 講師 at 22:56| Comment(0) | TrackBack(0) | 実現とは何か | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

実現とは何か(1)

従来、収益の認識には、実現主義が採用されており、収益は、その実現の時点で認識するものとされていました。
討議資料「財務会計の概念フレームワーク」では、従来の「実現」概念に代えて、「リスクからの解放」という考え方がとられています。
解説書等を読みますと言葉の言い換えにも近いようですが、言葉を変更した以上、理由はあるのでしょう。
そのことを考える前に、まず、従来の実現とは、一体どのようなものであったのかを考えてみたいと思います。

まずは、企業会計原則の規定をみてみましょう。
企業会計原則の「損益計算書原則一A」は、次のように規定しています。

「すべての費用及び収益は、その支出及び収入に基づいて計上し、その発生した期間に正しく割当てられるように処理しなければならない。」

支出・収入の発生期間への費用・収益としての割当を規定したのが、損益計算書原則一Aです。

損益計算書原則一Aでは、上記に続けて、次のように述べています。
「ただし、未実現収益は、原則として、当期の損益計算に計上してはならない。」

つまり、収益については、実現したもののみを計上することになる訳です。
それでは、実現とは、一体、何を意味するのでしょうか。
企業会計原則の規定だけでは、未実現の収益は計上しない、あるいは、実現収益を計上するということはわかっても、実現・実現主義が何なのかは、よくわかりません。

その他に、企業会計原則で、実現(主義)に関する規定としては、損益計算書原則三Bがあります。
損益計算書原則三Bでは、次のように述べています。
「売上高は、実現主義の原則に従い、商品等の販売又は役務の給付によって実現したものに限る。」

ここでは、「収益」ではなく、収益の一部の「売上高」になっています。
しかも、「実現主義の原則に従い」ということですから、どうやらこの規定でも、「実現」や「実現主義」が、何なのかははっきりとはわからないようです。

以上をまとめますと、企業会計原則から「実現」ないしは「実現主義」が何なのかは、必ずしもよくわからないことがわかります(なんじゃそりゃ)。

実現とは何か(2)へ
posted by 講師 at 23:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 実現とは何か | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2005年12月28日

正規の簿記の原則

正規の簿記の原則は、企業会計原則の一般原則の第二原則としてあげられています。
まずは、企業会計原則の規定をみておきましょう。

「企業会計は、すべての取引につき、正規の簿記の原則に従って、正確な会計帳簿を作成しなければならない。」

この原則が、「正規の簿記の原則」と呼ばれています。
ただ、「正規の簿記の原則」と呼ばれる文章の中に「正規の簿記の原則」という言葉が入っている訳ですから、この文章そのものは「正規の簿記の原則」ではなくて、「正規の簿記の原則」の原則というべきなのかもしれません。

この文章は、多くの事を語っている訳ではありません。
むしろ、何をいいたいのかがはっきりとはわからないといってよいのではないでしょうか。
ただ、なぜ正確な会計帳簿を作成しなければならないのか?を考えると帳簿を作成した成果としての貸借対照表や損益計算書といった財務諸表を正しく作成するためといってもよいでしょう。
その意味で「正規の簿記の原則」は、「誘導法」による財務諸表の作成を要請しているといってよさそうです(「誘導法」とは、財務諸表を帳簿記録を基礎に作成する方法をいいます)。

それでは、ここにいう「正規の簿記」とは、何を意味するのでしょうか。
極めて精巧な仕組みを持つ複式簿記が正規の簿記に該当するとはいえそうです。
ただ、複式簿記だけではなく、単式簿記による記録でも正規の簿記と考えてよい場合もあるようです。

正規の簿記の原則にいう「正規の簿記」であるためには、

(1)網羅性 (2)秩序性 (3)立証性

の三要件が必要であるといわれます。

企業会計原則の文章に「すべての取引につき」とあるように、網羅性が正規の簿記の要件として必要ということは頷けます。
企業が何らかの活動(取引)を行った場合に、これは記録して、じゃあこれは記録しないというように、記録すべき取引を選ぶ(一部を記録しない)ことがあってはならないでしょう。
そのような記録が、経営者や経理担当者の単なる記憶や憶測によってなされても困ったものです。
その意味で、立証性(証憑準拠性、検証性などとも呼ばれます)も必要でしょう。

わかりにくいのが秩序性です。
一体、何をもって秩序があるといい得るのでしょうか。
複式簿記には、明確な意味での秩序性が存在します。
秩序をルール(きまり)という言葉に置き換えるとわかりやすいかもしれません。
簿記は、企業活動の帳簿記録であり、仕訳→総勘定元帳という順で記録が行われますが、複式簿記の成立に欠く事のできない帳簿(主要簿)の役割を考えることで、「複式簿記の」秩序性(ルール)はみえてきそうです。

主要簿には、仕訳帳と元帳があります。
仕訳帳は、取引を発生順(歴史順)に記録する帳簿です。
元帳は、仕訳帳の記録を勘定口座(つまりは、内容)ごとに移記する帳簿です。
つまり、(1)歴史的な記録であることと、(2)内容に応じた記録であることが複式簿記の秩序性とみてよいのではないでしょうか。

ただし、このように仕訳帳と元帳を備えていなくても、例えば特に固定設備も持たず、小規模事業者で収支をすべて現金によって行っているようなケースでは、現金出納帳の記録に債権債務(貸し借り)等の記録を加えた程度でも、必要にして十分な記録といえる場合もあるでしょう。
この場合には、上記のような意味での複式簿記の精密な秩序性には劣るでしょうが、正規の簿記の要件を満たすに十分な秩序性を有しているといってもよいのではないでしょうか。
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2005年12月29日

手形割引の会計処理(1)

いわゆる新基準の導入から幾ばくかの時を経て、いまだにしっくりと来ない会計処理の一つに「手形割引の会計処理」があります。
新旧の処理を並べてみましょう。

(従来)
(借)現金預金 ××× (貸)受取手形×××
   支払割引料×××

(新しい処理)
(借)現金預金 ××× (借)受取手形×××
   手形売却損×××

会計処理としては、「支払割引料」が「手形売却損」に変わったことになります。
支払割引料(金利)であれば期間配分を要する(前払費用がでてくる)けれども、手形売却損(資産の売却損)であれば、基本的に、期間配分は不要ということになるでしょう。

はじめは、「ああ、そうなんだ。会計処理が変ったんだ。」というだけでしたが、いろいろみていくとなんだかよけいわからなくなってしまいました。
ただ、最近になって少し整理できたことがありますので、そのことも含めて、やや、細かい話ではありますが、書き留めておきたいと思います。

新しい会計処理のネタ元は、「実務指針」です。
一般的なテキストの記述も実務指針に負うところが多いのでしょう。
日商の許容勘定科目表でも手形売却損は、メイン科目となっているようです。
ただ、全経(全国経理学校協会)の1級の出題をみますと模範解答が支払割引料になっていたりします。
このような違いはいったい何処から生じたのでしょうか?
はじめの課題は、「手形売却損」と「支払割引料」のどちらが適切なのか?
ここからスタートです(って、まだ、はじまらないのねん)。

手形割引の会計処理(2)へ
posted by 講師 at 01:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 手形割引の会計処理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

手形割引の会計処理(2)

手形割引とは、他人から受け取った手形(手形債権)を銀行等に持ち込んで、現金化することをいいます。
手形には、期日(満期)がありますので、銀行は、ただでは換金してくれません。
割引料と呼ばれる手数料(のようなもの)をとります。
割引料は、手形の満期までの期間に応じて、利率をかけて算出されます。
この場合の利率は、その手形割引を行う者ごとに異なりますので、銀行は、この割引料を純粋な利息としてとっているといってよいでしょう。

さてさて、この手形割引がいったいどういう取引なのかについては、二つの考え方があるようです。
一つは、手形(手形債権)を銀行に売ったとする考え方です。
便宜上、「売買説」と呼んでおきましょう。
もう一つは、銀行から手形を担保にして資金を借りたという考え方です。
こちらは、「金融説」と呼んでおきます。

おおまかには、法律的(形式的)な立場からは、売買説が正しいとされる場合が多いようです。
ただし、経済的(実質的)には、金融説が妥当するといってもよいでしょう。
つまりは、結構、微妙です。

微妙な話はひとまずおいておいて、「売買説」及び「金融説」の会計処理を示しておきましょう。
額面100円の手形を90円で割引いた例です。

売買説:
(借)現金預金 90 (貸)受取手形100
   手形売却損10

金融説:
(借)現金預金 90 (貸)借入金100
   支払利息 10
または、
(借)現金預金 90 (貸)借入金90

金融説における支払利息は、経過勘定項目ということになりますので、決算を経れば、金融説の二つの処理の結果は、一緒になります。

手形割引の会計処理(3)へ
posted by 講師 at 02:31| Comment(0) | TrackBack(1) | 手形割引の会計処理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

手形割引の会計処理(3)

手形割引についての基本的な考え方には、「売買説」と「金融説」とがあります。
「売買説」は、手形割引を手形の売却と考え、「金融説」は、手形割引を(手形を担保にした)資金の借り入れと考えます。
両説に基づく会計処理は次のとおりです。

売買説:
(借)現金預金 90 (貸)受取手形100
   手形売却損10

金融説:
(借)現金預金 90 (貸)借 入 金100
   支払利息 10


これに会計処理の変更を重ねてみましょう。

変更前:
(借)現金預金 90 (貸)受取手形100
   支払割引料10

変更後:
(借)現金預金 90 (貸)受取手形100
   手形売却損10

変更後の会計処理は、「売買説」による会計処理と同じです。
ややわかりにくいのは、むしろ変更前の会計処理かもしれません。
貸方の受取手形は、受取手形という手形債権(資産)の減少を意味しています。
支払割引料は、利息の性格を有するものと考えた勘定科目といってよいでしょう。
つまり、次のような感じになります。

貸方・受取手形 →「売買説」(売ってなくなった)
借方・支払割引料→「金融説」(利息を払った)

一つの取引の中で、考え方に矛盾があった訳です。
これを一つの考え方(「売買説」)で統一しようというのが、新しい(今の)会計処理といってよいでしょう。

手形割引の会計処理の変更を手形割引をどのように考えるかという点からみてきました。
ただ、手形割引の法的性格等の手形割引そのものについて何かが変ったという訳ではありません。
変ったのは、あくまでも「会計」の側の話です。
それではいったい何が変ったのでしょうか?

次回以降は、変ったと考えられる「会計」の側の事を考えてみたいと思います。

手形割引の会計処理(4)へ
posted by 講師 at 03:20| Comment(0) | TrackBack(0) | 手形割引の会計処理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

手形割引の会計処理(4)

手形割引をどのように考えるかについては、これを手形の譲渡とする考え方(売買説)と資金の借入とする考え方(金融説)とがあります。
従来の手形割引の会計処理は、いわば売買説と金融説の折衷であった訳ですが、新しい会計処理は、売買説で貫かれています。
もっとも、手形割引に対する法的な考え方や経済的な見方に変化があった訳ではありません。
変ったとすれば、それは、あくまでも会計の側なのです。

手形割引の会計処理に関係を有する会計基準には、金融商品に係る会計基準(金融商品会計基準)があります。
金融商品会計基準では、金融資産について、権利(の支配)が他に移転した場合に、金融資産の消滅(貸方・金融資産)を認識すべきこととされています。

受取手形は、商品を売った代金をよこせという権利です。
売掛金との違いは、それが手形という仕組みにのっかっていることといってよいでしょう。
手形を割り引いて(銀行に譲渡して)、お金を受け取ってしまえば、もちろんそれ以上、お金をよこせという権利はありませんから、権利は他に(銀行)に移転しているといってよいでのしょう。
金融資産の消滅の認識を行う必要がある事になります。
つまりは、貸方・受取手形(資産の減)という仕訳をきる必要があるという訳です。

ただし、この処理については、必ずしも従来から大きく変った訳ではありません。
従来も、貸方・受取手形という処理は行っていたのです。
従来は、偶発債務の処理との関係で、貸方・受取手形としない処理(評価勘定法)があったにすぎません。
貸借対照表においても受取手形の金額に割引手形の金額が含まれることはありませんでした。
つまり、貸方・受取手形は、金融商品会計基準が導入されたからそうなったというのではなく、以前からそうだった訳です。

以前と変ったと考えられるのは、やはり、借方・手形売却損です。

では、本当に手形売却損という勘定科目は適切なのでしょうか?

支払割引料では不適切なのでしょうか?

それともどちらでもよいのでしょうか?

謎は深まるばかりです(って、ホントか)

つづく。

手形割引の会計処理(5)へ
posted by 講師 at 04:22| Comment(0) | TrackBack(1) | 手形割引の会計処理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

手形割引の会計処理(5)

手形割引の現在の一般的な会計処理は、次のとおりです。

(借)現金預金 ××× (貸)受取手形×××
   手形売却損×××

借方の手形売却損が、従来は、支払割引料でした。
手形売却損は、資産の売却損を意味する科目、支払割引料は利息を意味する科目といってよいでしょう。
このような違いを考えると、やはり、手形の割引取引そのものの性格について、もう少し深く考える必要があるかもしれません。

まずは、法的な視点です。
手形割引は、法的には、手形債権の譲渡と考えるのが一般的なようです。
厳密な法律の話は、私の手には負えませんが、資産を売却したというのが、法律的な見方ということで間違いはないようです。
ただ、現実的には、手形割引後に不渡等の特別な事情が生じた場合には、無条件で買い戻さなければならないという特別な条件がついているケースがむしろ一般的なようです。
つまり、手形の売却であるには違いないのですが、ちょっと条件のついた売却というあたりが、手形割引の法的な性格ということでしょう。
「買戻条件付の譲渡」というのが一般的な手形割引の法的な性格とみてよいのではないでしょうか。

ただ、会計は、常に法的な視点のみにたって会計処理を行っている訳ではありません。
例えば、リース取引などは、法的には、賃貸借取引でありながらも、これを売買取引と同様に会計処理を行うことがありました。
これは、法的な側面ではなく、経済的な実態を考えたうえでのことなのでしょう。
それでは、手形割引を法的にではなく、経済的に眺めた場合には、どのように考えるのが適切なのでしょうか?

手形割引には、当事者が二人います。
企業と銀行です。
まず、銀行はどう考えているでしょうか。
これは割引料の計算をどのように行うのかということでかなりの程度に答えがでそうです。
割引料の計算は、単純にいうと、手形の残りの期間に利率をかけて計算されます。
その利率はというと、「手形の振出人」に応じて異なるのではなく、「実際に手形割引を行う企業」ごとに異なっています。
割引料の基本的な取り方は、借入金の利息と同じなのです。
つまり、割引を行う金融機関は、紛れもなく、割引料の「全額」を利息と考えているのです。

それでは、企業はどうでしょうか。
不要となった固定資産を売却するように、資産を売却すると考えているのでしょうか。
これは必ずしもそうではないでしょう。
資金はないけど、期日のある手形がある。これを資金化しよう。
これに尽きると思います。
つまり、あくまでも資金を手にすることが目的なのです。
その意味では、手形割引が、法的には、資産の売却と考えられたとしても、やはり経済的な実質は資金の借入に近いと考えられます。

このように手形割引は、実際には、両当事者がいずれもその実態を、資金の貸し借りだと認識していることになります(なお、現状では、銀行の側は、金融説に基づいた会計処理を行っています)。

しかし、法的にみた場合に手形を譲渡していることもまた事実です。

(借)現金預金 ××× (貸)受取手形×××
   支払割引料×××

かつてのような処理を行えば、一つの仕訳のなかに、資産を譲渡した(貸方・受取手形)ということと、利息を支払った(借方・支払割引料)という全く別の要素が混在することになります。
そもそも一つ一つをとりあげればそれほど不合理ではないのに、何故、一つの仕訳として考えると明らかな矛盾が生ずるのでしょうか。
かといって、現状の手形売却損では、本当は金利ではないのかとの疑念が残ります。
つまり、いずれの処理をとるにせよ、すっきりとはいかないのです。
何故すっきりといかないのか?。
次回のテーマです(長大作ですな←いや〜、それほどでも)。

手形割引の会計処理(6)へ
posted by 講師 at 05:27| Comment(0) | TrackBack(0) | 手形割引の会計処理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

手形割引の会計処理(6)

手形割引は、本当に資産の譲渡なんでしょうか?

同様に資産の売却取引といっても「有形固定資産や有価証券の売却取引」と「手形の売却取引」とでは大きな違いがあります。
それは、売却益がでる場合があるかどうかです。
有形固定資産や有価証券を売却した場合には、固定資産売却益や有価証券売却益が生じることがありました。
手形の売却(手形割引)の場合はどうでしょうか?
手形売却益という勘定科目は、聞いたことがありません。
これはたまたまなのでしょうか。
手形売却益が生ずることは、考えられないのでしょうか?

結論的には、手形売却益が生じることはありません。
しかし、必ず損をする(損がでる)売却?
何かおかしくないでしょうか。
おかしいとすれば、その原因はどこにあるのでしょうか?

その原因は、受取手形の帳簿価額にあります。
資産の売却損益は、「売却代金−帳簿価額」で求められます。
帳簿価額100円の資産を120円で売却したなら、120−100で、20が売却益です。

帳簿価額<売却代金……売却益
帳簿価額>売却代金……売却損

という関係があります。
売却損が常にでるということは、売却代金が小さすぎるか、帳簿価額が大きすぎることを意味しているのでしょう。
売却代金が小さすぎるという訳ではなさそうです。
不適切に小さいのであれば、企業が取引をすること自体が不合理ということになってしまいます。
そう、帳簿価額が大きすぎるのです。

どうやら、手形割引時の貸方・受取手形の金額に問題がありそうです。
この額は、当初の売上(売掛金の回収)時から何ら変りがありません。
つまりは、当初の取引、

(借)受取手形××× (貸)売  上×××

この取引金額そのものに問題がありそうだということになります。
次回は、この取引について考えてみたいと思います。

手形割引の会計処理(7)へ
posted by 講師 at 06:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 手形割引の会計処理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

手形割引の会計処理(7)

手形割引の会計処理がなんとなくしっくりとこないのは、手形割引の取引(の会計処理)に問題があるからではなく、当初の取引(または仕訳処理)に問題があるからです。
問題があるといっても、現状では、それは一般的に行われている処理です。
ですから、これからの話は、現状では、必ずしも行われていない理論的な処理ということになります。
この点を十分、踏まえておいてください。

ただ、税理士試験でいっても試験的に出題の可能性がない訳でもなく(最重要項目という訳ではありませんが)、たとえば、平成8年度 第一問 問1は、このような問題意識のもとに作成されたと考えられる出題です(半分は、没問になった可能性が高いですが)。

結論的なことを最初にいっておくと、売上に利息は含まない方が理論的です。
例えば、現金正価(現金での販売価額)が100円、掛け(手形でも考え方は同じです)での販売価額が120円という場合の処理を考えてみましょう。
掛けによる場合は、2月後を期日とし、1月後に決算をむかえた例で考えてみましょう。
現金での販売の場合には、全く問題はありません。
現金100 売上100
でいい訳です。
問題は、掛けの場合です。

(現在の一般的な処理)
販売時:(借)売 掛 金120 (貸)売  上120

決算時:処理なし

決済時:(借)現  金120 (貸)売 掛 金120

(理論的な処理)
販売時:(借)売 掛 金100 (貸)売  上100

決算時:(借)売 掛 金 10 (貸)受取利息 10

決済時:(借)現  金120 (貸)売 掛 金110
                  受取利息 10

経験的には、この処理は、かなりわかりにくいです。
それは、売った金額120円で売上をたてるというのが簿記の初歩の学習時から当然のごとく行ってきたことに由来すると思います。
この売上に対応する売掛金(受取手形)の金額も当然120円ということなります。

次回は、やや横道にそれる感はありますが、もう既にくねくねしておりますので、売上は120か(利息込)、100か(利息抜)について、今一度、考えてみようと思います。

手形割引の会計処理(8)へ
posted by 講師 at 07:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 手形割引の会計処理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

手形割引の会計処理(8)

手形割引時の基本的な会計処理は、次のとおりです。

(借)現金預金 100 (貸)受取手形120
   手形売却損120

貸方の受取手形は、手形の額面金額であり、その面金額には、利息部分が含まれています。
当初の取引(借方・受取手形)が120であるからです。
そもそも当初の取引段階で、売上の金額(と受取手形や売掛金の金額)に利息部分は含まれるべきなのでしょうか?

利息は、資金の出張手当のようなもので、拘束を受ける側(資金の出し手)が期間(時間)に応じて受け取るものです。
貸付金にしろ、預金にしろ、資金を直ちに手にすることなく、拘束を受ける(相手は自由にできる)ことで受け取る報酬が利息です。
その意味では、売掛金の場合にも全く同様のことがいえるのではないでしょうか。

掛取引であれば、売り手が、その期間に応じて受けるべきものでしょう。
お金の出張手当としての「利息」と商品を売った「代金」の性格は異なっており、その取扱いも理論的には異なるべきでしょう。
その間に決算をはさめば、「利息」は、期間配分もすべきなのです。

現金正価100円、2月後の手形決済120円という条件の販売を行い、1月後に決算をむかえ、直後に手形を割引いたという例で考えてみましょう。

販売時:(借)受取手形100 (貸)売  上100

1月後に決算:(借)受取手形10 (貸)受取利息10

直後に売却=割引:(借)現金110 (貸)受取手形110

そう、手形売却損は、出てこないのです。
当初の手形売上の取引の段階で、理論的に正しい処理を行っていれば、手形売却損は出てこないのです。
手形売却損は、出てこない?

本当はちと違います。

次回は、どこがちと違うのかと、何故、我国では、理論的ではない処理が一般的なのかを考えたいと思います。

それで、長かった手形割引の会計処理の前半を終わりにしたいと思います(ぜ、前半って、あんたそんな無茶な)。

手形割引の会計処理(9)へ
posted by 講師 at 08:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 手形割引の会計処理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

手形割引の会計処理(9)

手形割引は、法的には、資産の売却と考えられ、会計処理も資産の売却を行ったかのごとくに行います。
ただ、当初の手形取引(受取手形××× 売上×××)の金額から金利部分が除かれていないと、手形割引時の受取手形は、理論値よりも大きくなり、その分、手形売却損も大きくなってしまいます。
では、理論的には正しい受取手形の金額はというと、いわゆる償却原価法を適用した場合の帳簿価額、すなわち、償却原価であるべきでしょう。

現金正価100円、手形売価120円、手形期間は2月、1月後に決算、2月後に決済という例で考えてみましょう。

販売時:(借)受取手形100 (貸)売  上100

決算時:(借)受取手形 10 (貸)受取利息 10

決済時:(借)現金預金110 (貸)受取手形110
                  受取利息 10

決算時の受取利息は、受取手形100に対するもので、決済時は、(100+10)=110に対するものですから、本来は、一定額ずつ(定額法)ではなく、(+10)も加味して配分する方(利息法、利回法)が合理的です(でも面倒です)。

また、決算時の受取手形110は、仮に利息法を採用したとしても、決算時の時価という訳ではありません。
あくまでも当初の金利の状態が続いたと考えて計算されたものです。
その間に金利の水準が変れば、受取手形の時価も変動します。
金利水準があがれば、受取手形の時価は下がるでしょうし、逆に金利水準が下がれば、受取手形の時価は上がるはずです(金利が10%で100円の手形は、金利が20%になると100円より安くなる筈です)。

本来は、償却原価と時価との差額が売却「損益」になる筈です。
つまり、一般的な会計処理を行った場合の手形売却損には、「本来の売却損益」と「手形割引時から満期までの期間の利息部分」とが混じっているのです。

日商検定では、手形売却損が主たる科目とされ、全経では、模範解答が、支払割引料とされるある種の混乱が生ずる原因は、そもそもの取引(ないしは会計処理)が理論的には正しい姿ではないからなのでしょう。

手形割引の会計処理(10)へ
posted by 講師 at 09:49| Comment(1) | TrackBack(0) | 手形割引の会計処理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

手形割引の会計処理(10)

我国では、売上の金額を、相手との取引金額で計上するのが一般的といってよいでしょう。
たとえ、そこに金利の要素が入っていたとしても、これを区別しないのです。
もちろん相手のいる取引で、その相手との取引金額で売上を計上するのですから、その金額は、はっきりしています。
その金額をそのまま売上にするのですから、その意味で確実だとはいえるでしょう。
これは大きなメリットです。

ただ、取引の金額からできるかぎり利息の部分を分別することは、理論的には、当然ともいってよいと思います。
世界標準は、むしろこちらに近いようです。
これをできる限り行おうとするのか、むしろ、いや取引金額でいいじゃんとするのかは、利息(それは、貨幣の時間に対する報酬でした)をどの程度重視するのかにかかっているようにも思います。
そしてそれは、貨幣(資本と呼んだ方がいいかもしれません)をどの程度重視するのかと同じといってよいのかもしれません。
おそらくは、日本では、根っこの部分で、利息ないしは貨幣(資本)が軽視されているのでしょうか。
取引金額(額面)を中心とした取引の慣行、そして会計処理は、日本に特有なものといってよいようです。
利息をより重視するならば、取引の段階や会計処理の段階でこれを区別するという方向に話は進む筈でしょう。

金融商品に関する実務指針では、「金利が重要な場合は区別しろ」といっていますが、これは理論的には、区別すべきでも、これまでの取引慣行や会計慣行をすぐに変えることが難しいことを同時にあらわしているといってよいかもしれません。

手形割引の会計処理、特に、借方科目(手形売却損)に注目してみてきました。
現行の当初の会計処理(利息を含んだ受取手形)を前提にした場合には、手形売却損が、必ずしも全面的な合理性を有する訳ではありません。
かといって支払割引料が適切ともいえません。
どうやっても不合理なのです。
合理的な手形割引の会計処理が本当の意味で形成されるには、当初の取引慣行や会計慣行があるべき姿に変わるまで時の経過を待つ必要があるといえるのかもしれません。

手形割引の会計処理(完)
posted by 講師 at 10:01| Comment(2) | TrackBack(0) | 手形割引の会計処理 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする